あまり細かいことをいきなり気にするのも良くないとは思うが、いざなにか書いてやろうと意気込みを入れると、やはり見栄えを気にせずにはいられない。

己はそういう人間である。

 

すこし昔話をさせていただこう。

 

日常生活における自分は非常に縮こまっていながらも慇懃無礼な人間で、平たく言うならば人の感情の機敏に非常識なまでに疎い。会話中、突然相手から激昂されるのはよくあることで、児童のころはドラマや小説あるいは漫画のキャラクターを見よう見まねでコミュニケーションを取ろうとし怒られることも度々あった。

こちらとしては何の説明もされず突如として嫌悪を示されたわけなので、感じられるのはただただ困惑と自己嫌悪だけである。あまりにも繰り返し叱責されるものだから必死になって礼儀作法を学んだが、結果として礼儀作法をそれなりに覚えていて腰の低いだけのとんでもない慇懃無礼ができあがるだけのこととなった。

 

幸い、近頃どうにもそれが生まれつきの障害であると知ることはできたが、だからといってわけもわからぬまま他者に嫌悪される恐怖から解放されたわけではない。

 

匿名であるインターネットの上であっても、他者とコミュニケーションを取っている以上その恐怖はつきまとってきた。

SNSであれば、長く続けるうち知り合った知人に嫌われたくない心から自然あれやこれや己という個人をよりよく、無害であると示すためのふるまいを意識してしまう。

掲示板であれば、己があまりに頓珍漢なことを口走っていないか、周囲から無条件に批判されるような非道徳的な発言になっていないか、文体がその掲示板で一般的に使われているものかを真剣に何度も調べ、それからやっと投稿するも、レスポンシブが来るのか、それがプラスであるのかマイナスであるのかが気になってしまい30分は画面から離れられない。

結果として、素直な意見を発信したいと始めたそれらでも、僕は縮こまった慇懃無礼として収まってしまう運びとなった。

 

ようは、このブログは環境を一新する、という名目で作った逃避先というヤツである。

 

このブログもきっといずれ、世に数多くいる、たしか情報リテラシー、と言ったか、そういったものに長けた人物が読めばあっという間に私にたどり着くものになるのだろう。

そうであれ、ここが存在している限り、たとえ名目だけのものであったとしても、小生はただのしゃべりたがりの、ここでだけ名を明かすしがない物書きになれるのだ。

 

きっとここに書くことはどうしようもない些事と与太話の塊であろうが。

 

某の逃避行は、はじまったばかりなのだ。